本の紹介    
 

Jon R. Luoma
 
The Hidden Forest
:
The Biography of an Ecosystem

New York: Henry Holt & Company,
1999, 228p.


 
 
     
 

この本は、北アメリカ西岸の原生林を舞台として、主に1980年代以降の森林科学分野において数々の新知見が得られてきた過程を、サイエンスライターがわかりやすい文章で紹介したものである。

この本は私が2003-2004年にオレゴンで過ごしていた時に、USDA Forest Service地形・地質学者F. J. Swanson博士から勧められて読んだ本である。実は2002年に短い訪問をした時にも勧められたのだが、読む気が起こらないまま、いくらかページをめくっただけで博士にお返ししたのは、旅の疲れと時差ぼけによる睡眠不足だけが原因ではなかった。それは、本書が表紙と扉のページにカスケード山脈の原生林の写真がある他には、図も表も写真も挿絵もなく、ただただ英文字が200ページをぎっしりと埋めているものであったからだ。11章に分かれてはいるが、各章のタイトルすらついておらず、読者をひきつけようとする工夫が微塵もないのである。その後、翻訳本化も考えて書き残した日本語訳は、日の目を見ることなくパソコンの中に眠ったままであるが、日本の出版社が二の足を踏むのも無理のないことと思う。

 そんな本書を読み始めたきっかけは、再びパラパラとページをめくりだした時に、雲仙普賢岳の火砕流で命を落とした火山学者H. Glickenさん(当時彼は、私が大学院生として籍を置いていた東京都立大学の客員研究員であった)の名前が偶然目に留まったからである。その名前を見つけた第1章だけにでも目を通そうと思って読み始めたら、いつの間にか本書の虜になっていた。

 先に書いたとおり、本書の各章にはタイトルがないが、およその構成を示すために、各章の内容を短い言葉でまとめると以下のようになる。

  1章 セントヘレンズ火山噴火の啓示
  2
章 地形学者の目に映る生態系のダイナミズム
  3章 J.Franklinの挑戦の始まり
  4
章 樹冠研究への道のり
  5
章 200年間継続する野外実験
  6
章 ローテク土壌動物研究
  7
章 生態系ブラックホールの根圏
  8
章 生態系の攪乱と生物的遺産
  9
章 新しい林業の試みと問題
  10
章 自然の諸相:数時間の大事件と数十年の退屈
  11
章 みえざる現在を解明する長期継続研究

 本書に登場する研究者たちの専門分野は、森林生態学、地形学、菌類学、微生物学、植物学、昆虫学、鳥類学、哺乳類学、水文学、景観生態学、保全生物学、魚類生態学、リモートセンシングなど多岐にわたり、彼らが次々と明らかにしてきた、原生林に隠されていた新事実は、それ自体読んでいて大変面白い。森の自然の見方が180度変わってしまうような発見の連続で、生態学徒でなくとも、森の自然に興味のある読者なら、一般の人でも十分にこの本を楽しめるであろう。

 しかし森林の研究者、あるいは自然科学者にとっては、別の魅力が本書にはある。それは、野外科学分野における発見がいかにして生み出されるのか、そのメカニズムを暗示する話題がいくつも紹介されている点である。オレゴン州にあるアメリカで最も活発なLTERLong Term Ecological Research 長期生態研究)のサイトの一つであるH. J. Andrews実験林において、新発見がなされてきた過程が様々なエピソードを交えて記されている。

本書にはJ. Franklinといった著名な研究者から当時駆け出しの大学院生・学生まで、100名以上が登場する。彼らが研究活動の中でどのような壁にぶつかり、どのように工夫を凝らし、どのような予期せぬことに驚き、またどのような時に従来の常識が覆されるような体験をしたのか、その研究現場の日々が生き生きと描かれている。ある場合は地味な調査の継続の結果、またある場合は新しい手法や視点の導入によって、それまで研究し尽くされたと思われていた分野にさえ、そこに学術知識の大きな穴があいていることが見えてくる。

発見の契機は様々であるが、その機会の訪れを支えているのは、スローフードならぬスローサイエンスと異分野研究者間の交流である。

 例えば英国の生態学者R. M. Mayの分析によれば、Ecology誌に掲載された749篇の論文のうち、5年間以上継続した研究によるものは13篇のみで、40%あまりの研究が1年未満の期間で終了したものであったという(1章)。これではゆっくりとした自然の変化を観察し記録することはできない。H. J. Andrews実験林では、200年間も継続する計画で進行しているM. Harmonによる枯死木の分解過程の研究(5章)に象徴されるように、長期間にわたって継続的にデータを取得する研究が進められている。自分の孫やひ孫でさえ最終的な結果を見ることのない長期計画の研究は、ともすると退屈で「生産性」の低い研究のように誤解されるかもしれないが、M. Harmonは研究を開始して間もなく、原生林内に大量に存在しながら無視されてきた枯死木の、生態系内での重要な役割に気づくことになった。「緑の葉をつけている樹木と林床に倒れている枯死木とでは、いったいどちらが本当に『生きている』といえるだろうか」。この彼の逆説には、事実上原生林の残存しない(したがって枯死木が林内に大量には存在しない)アメリカ東部で教育を受けた生態学者が西部の原生林内で見落とし続けてきた枯死木の研究の意義が凝縮されているといえよう。

このような長期的に継続する研究を維持するには多額の研究費を必要とするが、研究費獲得の場でスローサイエンスの意義を理解してもらうことは必ずしも容易ではない。H. J. Andrews実験林での研究成果が科学界でのみならず社会的にも大きな影響を及ぼしたこと(9章・11章:原生林の伐採に関わる全米を揺るがした論争)を考えると、軍事研究や宇宙開発研究と比較して桁違いに小さいアメリカのLTERの研究費を憂慮する著者の思いには大いに共感できる。

しかし多額の研究費が必要とはいえ、高性能の機器を使用する研究ばかりがH. J. Andrews実験林で行われているわけではない。沖津(2002)はローテクノロジーの試みとしての植生学・植生地理学について言及しているが、この実験林においても、しばしばローテク調査が重要な位置を占める。ローテク調査に不可欠なのは洞察力であるが(沖津2002)、この洞察力の源となる新しい発想や複眼的なものの見方が、異分野研究者間の交流によって生まれるエピソードが本書には繰り返し登場する。ササラダニ類を専門とするA. Moldenkeが森林土壌に対する認識を根本的に変えるきっかけになったのは、ヨーロッパの土壌学に触れる会議への出席であったし(6章)、カスケードの巨樹とトリュフと小型げっ歯類の間の共生についての新しいアイディアは、J. Franklinが菌類学者J. Trapppeと哺乳類学者のC. Maserを誘って森に出かけた際に偶然生まれたものであった(7章)。H. J. Andrews験林では現在100を超えるテーマの研究が進められているが、様々な分野の研究者が一つの森の研究に参加する中で、異分野の研究者の交流が常に行われる仕組みが作られている。

以上、トピック的に内容を紹介してきたが、本書を読んでいると、自然界には見落とされている現象や誤って解釈されている現象がまだまだ存在しているはずだという気持ちにさせられる。科学の細分化が進み先端的で精緻な研究が多く行われるようになった昨今の状況は、それはそれで結構なことであるにしても、本書に紹介されている研究はそのように細分化した既存の研究成果の先端を少し高めるようなタイプのものではなく、研究者の従来の自然観や、さらには科学観さえも揺さぶるようなものである。

自然界にまだ隠されたままの真実を発見する機会は、経験の浅い若い研究者にも平等に訪れる。ゾウに関心があるなら動物園でなくアフリカの自然の中に身を置くべきだというN. Nadlarniは、従来は林床から見上げるだけの存在であった樹冠を研究するためにハーネスをつけて樹上に上がった(4章)。そこで世界の誰も知らなかった寄生植物の存在を発見してScience誌の表紙を飾ったのは、彼女がワシントン大学の大学院生の時であった。生態学、地理学、地球科学など、野外科学の分野でこれから新領域を拓いていこうと思いをめぐらしている大学院生や学部生には特にお薦めの書である。

文献
沖津 進 
2002.『北方植生の生態学』古今書院.

(地理学評論第78巻9号に書いた書評を部分的に改変したものです)

 

 


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