ペーター・トウリーニ『アルペン・グリューエン 残照のアルプス』解説

                                  寺尾 格

作者紹介

 ラディカル・モラリスト ペーター・トゥリーニ

 1944年、オーストリア・ケルンテン州、ザンクト・マルガレーテン生まれ。父親はイタリア系の家具職人。高校卒業後は、木こり、鉄工所、織工場、ホテルと職業を次々と変える。グラーツにおいて、オーストリアのアヴァンギャルド劇作家たち、ペーター・ハントケやヴォルフガンク・バウアーらの文学グループ Forum Stadtpark(市民公園フォーラム)と接触して、1970年代初頭より社会批判的な劇作品を書き始める。1971年ウィーン・フォルクス劇場初演の『ねずみ取り』は、会社勤めにウンザリして逃げ出したトゥリーニが、ギリシャのホテルで一気に書いた作品で、現在においてなお、ドイツ中の劇場で上演されつづけている。。「荒々しい罵倒と挑発」「ゴミための上のゴミ」「ポルノグラフィー」「豚小屋」等々の反響に対するトゥリーニの次のような反論から、彼の挑発ぶりがよく見て取れるだろう。

「クソッタレ(原文では尻)!」という言葉は、「突撃!」という言葉に比べれば、死に追いやった人間の数は遙かにずっと少ない。だから「突撃」という言葉は「ポルノグラフィー」だと私は思う。裸のオッパイは、爆弾でばらばらに吹っ飛んだ兵隊よりも美しい。戦争を私は「汚らしい豚」だと思う。セックスショップは、ロシア軍のプラハ侵攻よりは好ましい。というのも、何しろプラハ侵攻は「変態」だからだ。それから、舞台上の裸がスキャンダルだと思うのは、下着が精液で洗礼されてる者にとってだけだろう。

 その後の劇作は、いずれもオーストリアに伝統的な民衆劇のスタイルをとり、通常の社会からはじき出された人間を、現代の消費社会の抑圧と暴力の中で描き続ける。反道徳的な挑発と、悲観的な反カソリックの特徴を持つ。1980年代以降、自己憎悪や外国人排斥、日常のファシズムを巧みな設定で暴露する「ラディカル・モラリスト」の様相を強くしている。主要作品は、1972年『メス豚の屠殺』、1980年『ヨゼフとマリア』、1988年『職なしのろくでなし』、1993年『残照のアルプス』、1997年『やっと終わり』等。

 『アルペングリューエン』は、1993年、劇中に言及されるブルク劇場において、総監督クラウス・パイマンの演出で初演。その意味では一種の楽屋裏劇の要素もある。老人をトラウゴット・ブーレ、ジャスミーネをキルステン・デーネと、どちらもドイツ語圏を代表する大ベテラン俳優が演じた。下品な売春婦、地味な事務秘書、挫折した女優と、女が次々に変化して行く。男も、最初は哀れな盲目の孤独な老人に見えて、ロマンチックな思い出話にホロリとさせるが、次第に得体の知れない存在となる。次々と「変容」する二人の告白により、人物のイメージは、そのたびに変わる。説明が続いている間だけの真実しか示されえない。真実と嘘とを手玉に取りながら、最後に「模倣」という「演劇」に対する問いかけに収斂させて行く作者の手際の見事さを楽しんでいただきたい。

劇場のための理論誌 PTパブリックシアター 第11号 2000年 93頁