その他(教育・研究)
第08回 (2003.01.24)
【 日本地理学会氷河作用研究グループ
・寒冷地形談話会合同野外討論会 】
2002年10月26-28日 長野県白馬村・新潟県糸魚川市

【図0:】
日本地理学会氷河作用研究グループ 寒冷地形談話会 では、 飛騨山脈北部白馬(しろうま)岳山麓に分布する第四紀の様々な地形や堆積物を対象に、 それらの成因や時代性について野外討論する機会を設けました。 とくに本地域の氷成堆積物の堆積環境や年代観については 近年の研究進展に伴って従来説の再検討が迫られており、 専門家が一同に会して議論することは重要です。 図は見学ルート(配布資料所収)です。

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【図1: Stop 1.1】
10月26日正午、JR大糸線白馬駅に大半の参加者が集合しました。 受付後、ただちに車に分乗し、最初の見学地である白馬村飯森の露頭に向かいました。 ここでの堆積物は、露頭西方の飛騨山脈側から流下する河川 (主に姫川や平川)がもたらした亜円礫・粗砂層と、 東方の山地から発する小河川起源の亜角礫・粗砂層、 及びそれらに挟在される泥炭層や腐植質シルト層の互層からなります。 これらは従来「神城湖成層」(柏木 1988;日本地理学会予稿集 33)とよばれてきましたが、 湖成起源というよりはむしろ、ときどき氾濫する河川の周辺、 または比較的小規模な静水域に堆積したと考えるが妥当です。 これらに含まれるテフラや大型植物遺体の分析を通じ、 堆積物の年代観や堆積環境が今後解明されるはずです (百原 新・苅谷ほか千葉大グループ未発表資料)。

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【図2: Stop 1.3】
姫川の一支流である浦川は風吹(かざふき)岳付近を源とする急流河川です。 1911(明治44)年8月9日、浦川右岸の稗田(ひえだ)山の山腹が突然崩壊し、 1.5×10^8 立方メートルもの大量の土石が浦川に堆積しました(町田 1964;地理学評論 37)。 崩壊の原因は不明ですが、事件発生数日前の集中降雨により 斜面物質の間隙水圧が上昇していたためではないかとされています。 膨大な崩壊物質の多くは現在までの約100年間に下流に排出されました (大糸線北小谷駅付近の通称「来馬(くるま)河原」は、この土砂が堆積してできた広河原です)が、 未だに残存物質も多く、集中降雨や融雪時には土石流となって流下します。 このため、浦川では 国土交通省松本砂防工事事務所 による集中的な砂防事業が現在も行われています。 写真は浦川にかかる金山橋から、稗田山北面の崩壊地と崩壊物質を遠望している様子です。

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【図3:1日目宿舎】
初日は 小谷村 国民宿舎風吹荘に投宿しました。 こじんまりした宿のどの客室からも来馬河原を俯瞰でき、 硫黄の香りがほのかにする天然温泉を掛け流しで楽しむこともできます。 夕食後は小セミナーが開かれ、この地域を長年歩いてきた石井正樹さん( 北陽建設 ) による講演「兵馬ノ平付近の地すべり地形」が行われました。

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【図4:蓮華温泉林道 ヒワ平】
2日目は早々に朝食をすませ、一路大所川上流をめざしました。 大糸線越後平岩駅付近で国道を離れた車は、 エンジンを唸らせながら落葉したブナの森を登ってゆきます。 この時期、一般車はヒワ平(標高約1200m)ゲートまでとなりますが、 関係機関から許可をいただいた私たちはさらに奥に向かいます。 ヒワ平は大所川上流(白高地沢・瀬戸川流域)を一望できる撮影・観察ポイントで、 この日も朝日を浴びる薄雪の雪倉岳(正面左;2611 m)や赤男山(同右)、 およびそれらの足元に分布する多数の地すべり地形を見ることができました。

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【図5:Stop 2.3】
蓮華温泉から登山道を西に辿ると兵馬(へいま)ノ平湿原に下りつきます。 その北側に大露頭が点在しており、総層厚数十m以上の泥流堆積物や河成砂礫層、 融氷河流堆積物などを観察することができます(石井 1998MS; 明治大学 文学部修士論文)。 一連の堆積物の成因や年代は十分解明されていませんが、 その下部には 立山E (75-60 ST ka)の可能性がある粗砂大の黄白色軽石が、 また最上部には姶良丹沢(29 14C ka)と推定されるガラス質テフラが挟まれる (石井正樹、および苅谷ほか未発表資料)ので最新氷期であるのはまちがいなさそうです。 ガラス質テフラの分布高度と直近の本流現河床高度との比高は約100mに達しており、 過去約30000年間の激しい下刻が伺われます。 これらが堆積した当時の蓮華温泉周辺の古地理はどのようなものだったのでしょうか。

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【図6:Stop 2.4】
蓮華温泉付近の見学後、私たちは林道を下って白池(しらいけ)に向かいました。 白池周辺は一難場(いちなんば)山付近を源とする崩壊堆積物からなり、 林道沿いに露頭がいくつも見られます。最近、それらの詳細観察が行われ、 崩壊物質の供給方向や二次変形運動の復元が試みられました(佐藤 剛未発表資料)。 今回そのうちの一つを訪れ、解釈を巡って議論しました。 まだ未確定な要素も多いのですが、崩壊は最新氷期前半か最新間氷期 (MIS5e)頃に生じた可能性があります。 ここでは露頭面の整形後に水糸グリッドを貼るなど、 活断層研究 で用いられるトレンチ調査のノウハウが活かされていました。

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【図7:2日目宿舎】
2日目は 農文協栂池センター に投宿しました。 林間学校の趣を感じさせる同所は食事もおいしく、客室もゆったりしています。 前日同様、食後に小セミナーが開かれ、三浦英樹さん( 国立極地研究所 )・高田将志さん( 奈良女子大文学部 )による講演「北米やチベットの氷河地形と堆積物、 そして今考えていること」が行われました。 この発表は海外の氷成堆積物の紹介と、 お二人が始めたばかりの氷成堆積物の識別方法の確立に関する研究紹介からなり、 いずれの内容に対しても活発な質疑応答が交わされました。 セミナー終了後も話は続き、最後の人が布団に潜ったのは午前3時頃だったようです。

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【図8:Stop 3.2】
3日目は冬型の気圧配置になったため、 白馬岳周辺は雷を伴うミゾレ混じりの暴風となりました。 白馬岳の玄関として有名な 猿倉 に車を置いた私たちは長走(ながしり)沢 の氷成または崩壊成堆積物をまず見学し、猿倉での昼食を挟んで赤倉沢に向かいました。 赤倉沢は小疇 尚明治大教授らによる先駆的研究(1974;駿台史学35) によって氷成堆積物が認定された場所ですが、 最近新たな年代値(近藤ほか 2000、2001;地球惑星科学合同学会CDROM/苅谷 2000; 日本地理学会発表要旨集 58)や、堆積物の成因解釈(長谷川裕彦ほか未発表資料)が示されています。 14C法適用以前の年代を示す木片の産出や、せん断を伴う特異な変形構造の発見がそれで、 本格的な追試が待たれる重要露頭の一つといえましょう。 整形された狭い露頭面を代わるがわる観察する参加者の様子です。

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【図9:Stop 3.3】

赤倉沢より約0.7km下流の松川左岸にも氷成堆積物が分布します。 それは、小疇教授らにより、赤倉沢に氷成堆積物をもたらしたものより 一つ古い氷河前進期の産物とされました。 この堆積物は松川本流から岩岳スキー場に上がる作業道沿いで観察できます。 明瞭な氷河底変形構造は伴わないものの、比較的よく固結しており、 木片を含んでいることが特徴です。木片の14C年は同法の適用限界以前を示し、 最新氷期の前半に対比される可能性が高いことを示唆しています(苅谷 2000;同上)。 露頭を訪れたのは日没近くでしたが、暗い森の中であることもいとわず、 あちらこちらで議論が始まりました。

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【図10:葭原バス停】
バス停近くの吊り橋前で撮影した参加者全員(途中帰宅者除く)の写真。 遠く北海道から地元長野まで、ベテラン研究者・技術者から現役学部生まで。 今回の野外討論会は参加者のキャリアや年齢層が多岐にわたったのも特徴です。 多数の参加申し込みがあり、数名の方の参加をお断りせざるを得ませんでした。 ぜひ、次の機会にお目にかかりたいと思います。 最後に、参加者の皆さま、本討論会をご支援下さった日本地理学会および 氷河作用研究グループ代表平川一臣教授( 北海道大学地球環境科学研究科 )、案内者・世話人を引き受けて下さった長谷川裕彦・石井正樹・佐藤 剛・黒田真二郎各氏、 および講演下さった高田・三浦両氏にお礼もうしあげます。

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